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森伊蔵
- 森伊蔵酒造は明治18年の創業で、鹿児島県垂水市で130年以上の歴史を誇る老舗蔵元です。大手酒造メーカーと比べると決して規模は大きくありませんが、代々受け継がれてきた技と製法をかたくなに守っています。創業当時に建造された木造の蔵をいまでも使用していて、この蔵の酵母がいまの森伊蔵を生んだのです。
- 創業当初から和かめで一次と二次に分けて発酵させる、当時では珍しいかめ壺仕込みにこだわった酒造りを続けています。一時は経営が苦しい時期もありましたが、焼酎造りのための創意工夫を欠かさず、1988年にはじめて「森伊蔵」を蔵出。いまの五代目当主が父である先代に敬意を払い、その名を冠したといわれます。
- 先代の四代目森伊蔵氏が事業を継いだときは、経営が苦しい時期でした。こんなときこそ残された蔵と伝統の技を守りながら実直に、という思いから大量生産に走らず、少量でも品質のいい焼酎作りに専念してきました。有名人の口から森伊蔵の名が出るなど、人気と知名度が急上昇しても生産量を増やすことはありません。そのため入手困難な幻の焼酎となりました。
- そんなKing of焼酎にあやかり店名を『伊蔵』と名付けました。
村尾
- 「村尾」は、鹿児島県薩摩川内市の自然豊かな山里にある酒蔵、村尾酒造の人気銘柄です。この蔵を代表する銘柄が、芋焼酎「薩摩茶屋」。村尾酒造の蔵近くには薩摩藩公の御茶屋敷跡があり、かの西郷隆盛がこの屋敷を訪れた際に、蔵にもお茶を飲みに寄っていたことから命名されたのだとか。
- この西郷隆盛ゆかりの酒蔵が、焼酎の製造免許を取得したのは、明治35年(1902年)のこと。以来、今日まで4代にわたって、伝統の「かめ壺仕込み」をはじめ、すべての工程を手造りで焼酎造りを続けてきました。手間暇かけて造られるこの蔵の芋焼酎は、しっかりと芋の風味が生きた、通好みの味に仕上がっています。
- ちなみに、村尾は多くのサイトで「西郷隆盛が愛した焼酎」などと紹介されていますが、西郷隆盛が亡くなったのは明治10年(1877年)のこと。村尾酒造の創業時期と照らし合わせると疑問が生じます。おそらく、創業以前からの蔵の歴史との関わりが拡大解釈された結果、上記のような俗説が生まれたのではないでしょうか?
- 「村尾」は、「魔王」や「森伊蔵」と並ぶプレミアム芋焼酎「3M」のひとつとして知られ、不動の人気を集める銘柄。“幻の芋焼酎”と呼ばれる理由は、その突出した味わいと入手困難さにあります。
- 飲みやすさの「魔王」と、バランス感の「森伊蔵」に対し、「村尾」の強みは芋ならではの香ばしさだといわれています。
- 単に芋の香りが強いのではなく、ほのかな甘味とまろやかさのなかに、さわやかな口当たりと独特のドライ感、キレのよさを兼ね備えた、じつに深みのある味がたのしめます。この深い味わいこそが、飲んだ人の心をつかんで離さない人気の秘密といえそうです。
- しかし、どれだけ人気が高まろうと、村尾酒造は手間暇かけた製法を守り抜いています。「村尾」に限らず、「薩摩茶屋」も含めて、その年に造った焼酎は翌年までにすべて売り切ってしまうのが村尾焼酎のスタイル。在庫が残ることもなく、生産が需要に追いつかないことから、「プレミアム」な存在となっているのです。
魔王
- 通常、樽で熟成されるお酒は、熟成の過程で水分やアルコール分が蒸発することから減少します。
- その失われた分のお酒は「天使の取り分(Angel’s Share)」と呼ばれています。
- 「魔王」は、悪魔たちがこの天使たちを誘惑し、魔界にもたらせた最高の美酒という意味で名付けられました。
- 白玉醸造は、1912年に鹿児島県錦江町で玉利直次郎氏によって創業された老舗の酒蔵です。
- 芋焼酎だけでなく、米焼酎、麦焼酎、梅酒など、手広く製造しています。
- 白玉醸造では、魔王の他にも元老院、天誅、白玉の露、などの有名銘柄も造られています。
- いずれの銘柄も造り手の思いが込められた名称になっているのが特徴です。